オジサンのよたよた話し


フーテンのサブ

サブと呼ばれた男の話しを書くには、私では力不足だ。いつの日か誰か、彼の伝記を書いて欲しい。ひとつの時代が見えてくるはずだ。

何年か昔、訃報を受け取った。サブが関西で亡くなったという。日本の土を踏むことができたんだと、ちょっぴり安堵した。しかし、いくには早すぎる年齢だった。
彼の唯一の財産が私の手元に残っていた。使い古した1つのトランクである。数多く貼られたステッカーは、すっかり擦り切れている。トランクの中に入っていたのは、原稿用紙。彼が、いつの日か世に出そうと書きためた原稿用紙が、大きなトランク一杯に詰まっていた。彼からトランクを預かって以来、私は、何度も引越しをしたが、これだけはなくしてはいけない大切な物であった。訃報とともに届いた依頼に従って、そのトランクを送った。それが、私にとってのサブの最期だった。

家を持たず、財産も持たず、物乞いをするのでもなく、社会に逆らって生きている人間が存在できることを認めるのは、当時の日本の社会体制にとって、容認しがたいことであった。すべての人々は、学校なり会社なりの組織に属していなければならない。そうでない人間、組織に縛られない人間は、社会体制に疑問を投げかける存在であった。
その頃、新宿の街で暮らし始めた男が居た。それがサブである。公園で寝て、地下街をぶらつき、いつもふらふら歩いていた。次第に、同じような暮らしをする人間が増えていった。いつしか、人々は、彼らをフーテンと呼ぶようになった。
フーテンは、何も所有せず、何にも拘束されず、今を生きる存在である。彼らの生き方に多くの人がショックを受けた。フーテンという生き方を教えてくれたのがサブであり、サブが居たことで、この言葉が生み出された(寅さんではない)。

サブと知り合ったのは、彼と一緒に暮らしていたラッコさんと出会ったのが始まりかも知れない。ラッコさんとは、ニューギニアで知り合った。面倒見の良い女性であった。彼女の家で、サブと知り合った。私よりは、ずっと年上なのだが、皆と同じように、サブと呼んでいた。ラッコさんの方は、「さん」付けなのに。

ラッコさんの世代は、銀座で「みゆき族」という言葉が使われるようになった頃の世代である(ラッコさんとは関係がないが)。少し年下の私達にとって「みゆき族」は大切なお姉様達であった。
「みゆき族」と呼ばれた世代には、その後、銀座で働いているお姉様達も多く居た。私達若者は、お店がはねる時間になると、銀座へ車で向かう。銀座の夜の街に車を停めて、お姉様達に、「送りましょうか」と声をかける。若者にとっては十分な小遣いが得られる。白タクである。「あのハゲがさぁ」とか言う愚痴も聞いたりするが、有名人の話しも聞けた。ハゲていなくても、彼女たちのスポンサーは、ハゲと呼ばれていた。だが、彼女達は皆、義理と人情を大切にしていた。今のようにドライではない。社会にどんなに逆らっていても何も言われはしないが、義理を欠けばこっぴどく怒られた。

サブとラッコさんの所に集まる人間は、多種多様であった。
銀座のクラブのママ。女性週刊誌記者。スタイリスト。あるカメラマンの御夫婦は、その後、ファッション業界へ。ラフォーレ原宿に出した店は時代を先取りして大成功。「若いという字は苦しい字に似てる」と歌っていた女性歌手。「あの帽子どこへ行ったのでしょうね」という映画俳優。自称ジゴロと言っていた音楽グループのミキサー。その後、TV局の前で会った時に、最近食べられるの?って聞いた(売れていない頃しかイメージがなかったので)。実はその頃、インドの地名の歌が、ヒットチャートのトップにあったのを知らなかった。ジゴロという言葉は、彼の細やかな気配りのイメージによって、尊敬すべき言葉となった(自分には、そんな気配りはできないので、ジゴロの夢は破れた)。

サブが旅に出る前にトランクを預かって欲しいと言ってきた。当時、私は、青山に住んでいた。原稿用紙の一杯詰まったトランクを預かった。彼の夢は、ザビエルの伝記を書くことであった。
たまに、旅先から葉書が届くことがあった。しばらく便りが途絶えた。そして手紙を受け取った。「今、ゴアの刑務所に居る」と書き出してあった。ゴアとは、インドの横にある国だ。麻○で捕まったのだ。「今度は、終身刑だと思う。時間は、たっぷりあるから、ザビエルの研究を再開したい。ついては、彼に関する本があれば送ってくれないだろうか。」というものだった。数少ないザビエル関係の書籍を探して、ゴアの刑務所へ送った。

歳月が流れた。そこに届いたのが訃報であった。だから、彼が日本に帰れたことに、ちょっぴりほっとしたのである。原稿が詰まったトランクの送り先は、遺族だったと思う。原稿は、本になったのだろうか。残念ながら、送り先も忘れてしまった。一緒に住んでいたラッコさんも、旅に出て、その後、行方はわからない。何年か前、モロッコで見かけた人が居るという風の噂を聞いた。いつのまにか、私もフーテンの仲間入りをしていたようだ。

このお話しは削除しろと言われるかも知れない。そんなクレームが来たら、すぐに削除します。登場人物のうち、その後の消息を知っているのは、ファッション業界で活躍する御夫婦のみである。

ここに記載された内容は、どのような形でも、引用することも、ストリー展開を真似ることも禁止します。これを完成させるのが、老後の楽しみなのです。 Copyright (c) 1998 ojisan