オジサンのよたよた話し


サファリだぁ

どうも自分は技術者である。技術的な挑戦は面白い。また、それが世の中の人のためになれば嬉しい。しかし、政治は好きになれない。政治的な思惑が、からみあうような世界で、そんなものを調整するような仕事はしたくない。

私の担当は、データ解析や予測であるから、モンバサで一通りのデータ収集が終わった段階で、一人で首都のナイロビに戻ることにした。データ入力の問題もあったし、政府のコンピュータを借りる必要もあった。
データは、紙カードへのパンチ入力していた。これは、意外に簡単に引き受けてもらえる部署が見つかった。しかし、いつまでたってもデータが仕上がらない。そこで、パンチルームを訪れた。びっくりした。何人ものオバサン達が、手にもった穴あけ器械で、紙カードに穴をあけている。ホッチキスのような形をした手動の穴あけを想像して欲しい。「エッ?」と思って、つくずく眺めた。手動のカードパンチャーなるものを見たのは初めてであった。アフリカンマミーが、おしゃべりしながら、コーディングシートに従って、1個1個、プチップチッと穴をあけている。確かに、これでは時間がかかるのもうなずける。
コンピュータ探しは、もっと大変であった。まず、コンピュータがどこにあるかである。ようやくみつけたのは、大蔵省であった。大蔵省の担当官の所へ、毎日、毎日訪問し、何とかコンピュータを貸して欲しいという交渉を続けた。ようやく、コンピュータの利用許可をもらって、マシーンルームへ行った時は、もっとびっくりした。型番は忘れてしまったが、もう何年も昔に、こんなコンピュータがあったなあという代物であった。カードを一気に読むことができなくて、箱の中へ、上の口から何枚か入れては、少しずつデータを8インチのディスクに格納していくという時代物であった(もちろん大型計算機だよ)。

作業は遅々として進まない。そんな時、ケニアは最高だ。町を出れば、動物が一杯。キリンさんが歩いていたり、ライオンが居たり、ぞうさんが歩いていたりする。仕事の悩みなんか、そっちのけで「サファリだ」「サファリだ」と大喜びで、ドライブしまくっていた。あまりにも楽しかったのだろう。帰国した時、皆から、よっぽど楽しい所で遊びまくってきた顔をしているよと言われた。いくら仕事の苦労を話しても、誰も聞いてくれなかった。カミさんなどは、「あ~ら、そう。遊んできたんでしょ」としか言ってくれなかった。

ケニア山へ出かけた時は、週末に、ちょっと行ってみようかと言いながら車を北へ向けたから、特に何も用意していなかった。後で、4輪駆動でなければ危なかったと言われたが、たまたま借りていたレンタカーは、時々エンストするカローラであった。出かける時に、食事をしていた駐在員のMさんから、あの道は、穴があいているから気をつけた方がいいよと注意されていた。まっすぐに地平線まで続く道。まわりはサバンナ。時々、マサイの人達が歩いている。動物が走る。ひたすら北へ走るうちに、道路の穴の意味がわかった。道路整備が悪くて、ガタガタ道になっているという意味ではない。本当に、道路に穴があるのだ。道路の地盤が壊れて、どかんと落ちている。車が2~3台、その穴の底に落ちて、潰れている。そう、自動車が数台は落ち込むほどの大きな穴なのだ。聞いていたから良かったが、真夜中にこんな道を走ったり、注意もせずに直線の道路をとばしていたら、それこそドッカ~ン、グァシャ~ンで終わりだ。
途中で、有名な木の上のロッジで一泊。予約もしてなかったら、今晩は、ネイティブで一杯ですと、最初、断られた。しかし、しばらく待ち続けて、何とか部屋を確保した。ネイティブと聞いていたから、皆、色の黒い人達ばかりかと思っていたら、全員が白人で、びっくりしてしまった。考えてみれば、ケニア国籍ならネイティブである。赤道を北へ越え、ケニア山をまわって帰って来た。ホテルのカウンタにあった地図を持って出たのだが、よく見たら100万分の1とかの地図で、ケニア全土がB5版程度に印刷されているものだった。当然、道に迷った。そして、夜、なんとかナイロビ近くに帰って来るまで、飲まず食わずであった。同乗者に、あの地平線を越えたら、スカイラークがあるよとか冗談を言っていたが、そのうち誰も口をきかなくなった。

大地溝帯の断崖をおりて、マサイマラへも出かけた。本当に、地面がドスンと落ちて、巨大が溝が地球に刻み込まれている。上から眺めると、断崖、そして、遠くのかなたに、反対側の断崖がかすんでいる。この大地溝帯が動物の宝庫だ。マサイマラのホテルは、共同施設の食堂などは、木の建物であるが、各部屋は大きなテントである。もちろん、テントの中に、シャワールームもある。入り口の椅子に腰掛けて、外を眺めていると、キリンやインパラが駆けて行き、象が近寄って来たりする。満天の星。旨いコーヒーと煙草で、至福の時がゆったりと流れて行く。日本なんかへ帰りたくないなぁと思ってしまう。
ナイロビの町を、ちょっと外へ出ると、遠くにキリマンジャロが雲の上から頭をのぞかせているのを見ることができる。富士山とは違って、頂上が、まっ平らになった山だ。高山病にかからないようい、ゆっくり日数をかけて登れば、高齢者でも頂上に達することができると聞いた。何かの小説で読んだキリマンジャロの、なんとか(?動物・・・有名な小説だったはずだが)を見たくて、そのうち登ってみたい。
帰国する日には、フラミンゴの居るナクル湖までドライブに出かけて、帰りの飛行機にギリギリになってしまったほどだ。まあ、仕事の内容よりも、遊んだことばかり印象に残っているケニアの仕事である。

ナイロビのレストランは、英国風。美味しい店は、全然、目立たない。入り口は、普通のドアで、小さな文字が書いてあるだけ。郊外のレストランも、地元の人に聞かないと、そんな所に店があるのかと思うような所にある。外は、真っ暗でも、中は完全なヨーロッパ風。なかなか良い所ですよ。

このケニアで、サファリラリーのコースを走ってみた。必死にハンドル操作しても、せいぜい40kmほどの速度を出すのが精いっぱいである。ちょっと速度を出しすぎると、道をはずれて、崖から飛び出しそうになる。何度、やっても、速度をあげることができなかった。道によっては、急勾配を登って突然下るから、ボンネットの前が空になって、空中に飛び出しそうな錯覚に陥るところもあり、ついブレーキを踏んでしまう。こんなところを、100km以上の速度で競争するラリー選手の神経は一体どうなっているのだろうかと思った。それまで、ラリーには、ずっと憧れてきたのだが、この時の経験以来、自分には才能がないと諦められるようにはなった。

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