会社を首になった。その日は雨だった。その日まで、私は社長であった。 私の席は、見晴らしの良いビルのトップフロアにあった。東京が一望できた。背の高いそのビルは、ファッションの街の大通りに面していて、自宅から歩いても15分程度の距離であった。車で出かける方が大回りになるのに、やっぱり車で通勤していた。 自宅のあるマンションでは、殺人事件が起きていた。鑑識も終わりに近づき、刑事が聞き込みに歩いていた。私は、原因不明の病気で意識不明になり、時々救急車で運ばれたりしていた。カミさんは、ストレスからか精神的に変になってきていた。ガールフレンドも、友達だと思っていた奴に取られた(オジサン達は皆、お姉ちゃんにうつつを抜かしていた時代・・・と自己弁護)。そんな時には、何もかもまとめて起きるものだ。後から、バブルと呼ばれるようになる時代が終わりに近づいていた。 経営者には身分保証などない。雇われ社長は、大株主会長の一言で首になる。誰もが経験するであろう会社を去る日は、ちょっぴり寂しいものだ。自分には、まだ立ち直る元気が残っているぞと思えるのが、まだ幸せだったのだろう。 10日ほど前の役員会で決まった。退職金などは無い。経営の失敗は、すべて私にあるというわけだ。急いで、すべての荷物を整理した。私物や個人の書類が段ボールで15箱になった。どこへ運ぼうかと考えた。しかし、よく考えてみれば、自分の過去など運んでも仕方がない。11箱は、ゴミとして捨てることにした。使っていたハードディスクも空っぽにした。2度と戻ることがないであろうオフィスを見渡した。 有志が送別会を開いてくれた。頑張りきれなかった責任が重くのしかかるのと、送別会を開いてくれた皆への感謝で、複雑な心境であった。来てくれるかと思っていた人も、こんな席には顔を出さなかった。本当の味方に気づくのは、最後の日というわけだ。しかし、後に残る者にとって、役員会で首になった元社長の送別会に出席するのは、大変なことだ。誰だって生活がかかっている。 送別会も終わり、駐車場から車を出して、キーを郵便受けに放り込んだ。ともかくも1つの会社を、ここまでにしたのだから、よく頑張ったと自分に言ってあげたかった。自分が間違っていなかったかと言えば、反省すべきことも多いし、力不足であった。しかし、今日のところは、自分を褒めてやって、ご苦労さんと言ってやろうと思った。そして、職を失った。 明日から、どうやって生きて行くか。収入が増えている時は、無意識のうちに生活が拡大している。知らず知らずのうちに、収入に見合った支出をしている。銀行から引き落とされる金額も、バランスが取れている限り意識することはない。それが突然、止まる。 すべての日常的支出が、当たり前のように継続する。驚くべき勢いで、蓄えが消えていく。一旦、拡大してしまった生活を、縮小できるようになるのは、結局は、蓄えが尽きた時である。 会社を辞めたら、しばらくのんびりしようとか、旅でもしようなんて、よほど余裕がなければ駄目だ。家にじっとしても居られない。行き場所がなくても、ともかく家を出るしかない。外へ出てから、さて、どこへ行こうかと考える。知り合いの会社のオフィスで、ソファを借りて寝る。何とかしないと、すぐに食べていけなくなるのは、わかっているのだが、何をすれば良いのかも見えてこない。普通の会社で、普通に雇ってもらえる年齢は過ぎている。同じ頃、同じように役員を首になった友人達が、あちこちに居た。 そんな時、往年の大女優マレーネ・ディートリヒ逝くのニュースを見た。人間は、人生という舞台を下りることは出来るのだ。どんなに苦しい舞台でも、幕を引くのは他人でも、舞台に立ち続けるのは自分の意志。そう思ったとたんに、何か勇気がわいてきた。
|