「大人になったら何になりたい?」というのは、子供が必ずされる質問だ。 自分は何になりたかったのだろうか。幼稚園の頃は、道路工事ごっこが好きだった。道の穴を埋めたり、掘り返してみたり、おもちゃのトラックに土を運んで遊んでいた。そういう意味では、その後、道路の仕事をすることになったから、夢の1つは実現したのかも知れない。 小学校に入った頃、初めて人工衛星が打ち上げられた。家へ帰って来た父が、興奮気味に話していた。宇宙旅行が現実のものとなりそうであった。21世紀には、誰もが宇宙旅行できる時代が来ると思っていた。あいにく、まだしばらく時間がかかりそうではある。しかし、そんな影響が、宇宙工学なんてものを専攻する原因だったのかも知れない。 中学校で書いた作文が、N市で一等賞だったかをもらった。N市の未来の町づくりの計画についてが課題であった。一時期、都市計画の仕事に関わったりしたのは、その頃に原点があったのだろう。 でも、子供に「大人になったら何になりたい」と聞いたって、そんなもの分かるわけがない。世の中がどうなっているのかも知らないのだし、ましてや、どんな仕事があるのかも知らない。TVなんて無かった時代では、自分のまわりの風景以外にイメージを持ちようがない。小さい頃に、国旗という概念が理解できなかったのが、とても印象に残っている。自分の町の旗なら分かる、自分が行ったことがある町でも同じ旗を使っているのは知っている。しかし、どこまで同じなのかは分からない。国家なんて抽象概念は、そう簡単に理解できるものじゃない。仕事とか職業なんてものは、もっとすごい抽象概念だ。 とは言うものの、子供の頃になりたくて、なれなかったものには、どんなものがあるだろうか。やっぱり一番は、詩人だろう。なんで詩人になりたかったのか、あんまり記憶に残っていないのだが、「何になりたい?」と聞かれると、必ず「大人になったら詩人になりたい」と答えていた記憶がある。小学校に入ったばかりの頃である。 すべての世界を、わずかな言葉と、言葉の流れの中に表現できる詩人の感性は、本当に素晴らしいと思う。しかし、あいにく私には、そんな研ぎ澄まされた感性もなければ、感受性もない。「あなたは、小説家にもなろうなんて決して考えない方がいいよ。感受性のない文章は面白くないから」と友人に言われたこともある。もっともだなぁとは思うが、ちょっとくらい望みを持たせてくれたっていいじゃないか。ランボーのような情熱と、バシュラールのような感性を持ちたいと願っているだけなら許してくれよ。 しかし、「詩人ですね」と言われることはある。この場合は、「あんた甘いねぇ」という意味であるのは知っているが・・・。 他になりたかったのには、山師というのもある。山で鉱脈をみつける山師だ。小学校2年生の時に、そんな作文を書いたら、先生から変だと言われて、何が変なのかが分からなかった。山師というのは、今でも、少なからず憧れるところがある。若い頃に、砂金を探そうと、出かけたことがある(「ハサック」に住んでいた頃のことだ)。日本の山でも、砂金をみつけることはできる。古い山のガイドブックを古本屋でみつけたらわかるが、戦前のものとかだったら、砂金が取れる川が、東京近郊でも載っている。もっとも、1日必死で働いても、ほとんど採れないから、他の仕事をする方がましというわけだ。しかし、最近は、誰もそんなことをしなくなったから、川のどこかに(重さで砂金が)溜まっているところがみつかるかも知れない。 最近、知り合った人に、温泉用のボーリングを1本掘るには2億円ほどかかると言われた。掘ったからといっても、出るか出ないかは、最後は運である。石油でも掘ろうとしたら、それこそ大バクチなのだろう。そんな大バクチができるくらいなら、自分でホームページを作ったりはしていなかっただろう。 今でも、十分に、詩人をやっているのかも知れない。 さり去って来たらざるは盛年。
|